さべひろのこと

お腹が減りました。

心理学が大事だということ

物心ついたとき、それは高校受験の受験勉強を始めた中学生の頃、自分が大学に進んだとして最初に追究したいと思った学問は心理学だった。

私は強い父権的権威の元で、典型的に親の顔色を伺うタイプの子どもで、ただそのお陰で人をじっと洞察する割合が多分比較的多かったんじゃないかと思う。その所為か、理に合わない、人の表層的な感情の表出を不思議に思うことが多かったし、つまるところどういう内面の心理的な力が作用して、こういう表面の行動を引き起こすことになったのかということを考えることが多かった。それが昂じて、心理学を追究したいと考えたのだと思う。

そんな好奇心の終わりはあっけなかった。心理学に興味があることを、当時の塾講師だった確か6歳くらい年上だった大学生に打ち明けてみたところ、「心理学なんてねずみ(マウス)をいじくりまわすばっかりで、わかるのは結局ねずみのことだけやねんで。人の深層のことなんて全然追究せえへんねんで」みたいなことを言われ、急速に自分の好奇心が恥ずかしいもののように思えてしまって、その後にもうその気持ちを表に出すことはなかった。結局その程度のものだったということだけれど。

その後、結局その程度のものだった心理学のことは横に置いて、最終的に私は大学において経済学を専攻することになった。経世済民のその学問は、特にマクロ経済の言論に手をつけた一番最初で、結局は個々の心理の集積を数理的に希求し分析するものであることに気が付いた。ただ、心理を集積するものであるにも拘わらず、数理的に分析するがためにその心理に前提を置き単純化していることが私には受け入れられず、私は急速に興味を失った。もちろん経済学は、人や組織の行動を研究するのが本質の一つで、私は単に基礎の導入部分で不信的な先入観を勝手に持っただけだったのだけれど。閑話休題、そうやって専攻した経済学の本質にあるのは、結局は人の心理だった。

会社に入って、チームやプロジェクトを持ち、そのチームやプロジェクトのアウトプットを最大化することに腐心するようになった。そして、マネジメント手法やメソドロジを学ぶ度に、いつも目の前にあるのは、人の心理への有効な働きかけをどうするかということだった。

他の一般的な例えだと、統計学に少し前からスポットがあたっているように思うけれど、統計とは結局はある意図を持って収集されたデータをある意図を持って加工し読み取る行為であり、統計データには歪みやノイズや偏りが存在する。よって統計データはファクトではなく、ある心理が導いたもので、その活用には高いリテラシ(心理が生む偏りや限界を踏まえマネジメントすること)が必要なように思う。

人が介在するすべてのものに心理が作用するのはそれはそうで当たり前のことなのだが、ということで僕はだからこそ、高等教育の一番最初に心理学を含ませるべきなのではないかと思う。具体的にはその中でも社会心理学認知心理学を挙げたい。これらを基礎の素養として、他の学問に進み、また、実社会活動に活かしていくのがいいのではないかと思った次第である。

認知心理学 (New Liberal Arts Selection)

認知心理学 (New Liberal Arts Selection)