さべひろのこと

お腹が減りました。

信号

交通量も少なく誰も見ていないとき横断歩道の信号機に従うだろうか?
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交通量も少なく誰も見ていないとき横断歩道の信号機に従うだろうか?: 極東ブログ

僕は、小学生の四年生とかそれくらいまで信号無視ができなかった。

通っていた小学校と自宅に間にはバス通りを渡るための信号が一つだけあった。その通りは、朝晩のラッシュ時にはとても混雑していたはずだけれど、特に下校時には車が通らない時間というのが頻繁に確かにあったように思う。
同級生と連れ立って下校し、車が通らない時間に当たったとき、他の同級生は当然というか信号を無視して渡っていくのだけれど、僕はどうしても無視することができなかった。細かなやり取りは忘れてしまったけれど、同級生たちは渡った先で結局僕を待ったか、少しずつゆっくりと歩き始めた同級生たちに僕がその後に駆けて追いついたか、したように思う。

僕は母に信号を無視することができないんだみたいなことを報告してみた。すると意外にも、車が通ってないなら渡ってもいいんじゃない、みたいな答えが返ってきた。車の往来の状況を当然知っているからそう言ったのか、何か私の悲壮な雰囲気をかばうようにそう言ったのか、同級生たちとの関係性を慮ったのか、母の心中はわからないけれど、全面か一部容認か、何れにしても信号の無視を肯定する答えが返ってきた確かな記憶がある。そうして僕はそれ以来、赤信号を渡ることに特に抵抗がなくなった。

少なくとも僕は「誰かに見られているから」そうしたのではなかったと思う。与えられて認知した規則を、自分なりの規則として定めて、その自分なりの規則が信号を守らないことを許さなかった。敢えて言うと、自分の中の自分に見られていたから。
ただ、その規則は、自分では壊せなくても、他者もとい母親にはあっさり壊されるようなものだったのだけれど。

今は、小さな子供の悪い見本にならないように、きちんと信号を守っています。