さべひろのこと

お腹が減りました。

お父さん

お父さんが死んだ。'10.03.27、82歳と32日。特に兆候なく急な心停止。介護施設にいる最中だった。

私は、大学在学中後半は実家を出て神戸で一人暮らしを始め、卒業後も東京に就職したため、そもそもお父さんとは離れて暮らすことになった。また、生活的にも自立した私自身が、面倒なお父さんと親密に関わろうとしなかったこともあり、以降の日常的な思い出はあまり多くない。

ここ最近の数少ない思い出と言えば、正月に奥さんと帰省して、家族で鍋をしていたときに、広島生まれの奥さんのことを気に入った風で、べっぴんさんや、とか、いつものうんちくで広島のことを酒に酔いながら話したこと。アルツハイマーの進行で、もう色んなことを思い留めることができなくなったお父さんに、介護施設にて娘を抱いてもらったこと。の二つくらいだ。今となっては大事なその思い出が、死ぬ直前、お父さんの中でどれほど留まっていてくれたか、私にはわからないけれど。

昭和一桁生まれで鹿児島生まれのお父さんは、同級生の他のお父さんよりも年上のお父さんは、厳しくて頑固で面倒だった。お酒を呑んで呑まれてうんちくを語り出すお父さんは、周りのお父さんよりもややこしいお父さんに見えた。

私が生活的に自立を始め、お父さんと親密に関わろうとしなかったのは、ややこしいけれど大きかったお父さんが、老いでどんどん小さく思えるようになってきたことも大きく作用している、と思う。大人になった、一人前になったと思い始めた私が、お父さんのことを張り合いがなくなった、と思ってしまったからだ、と思う。

それでも、知らせを聞いて新幹線の終電で実家そばの病院に向かったものの、もうすでに息がないお父さんと久しぶりに対面したとき。翌日には葬儀施設の豪華なお布団にくるまって、棺に入れられるのを待つお父さんと対面したとき。桐の棺にお父さんを入れたとき。今まさに焼かれんと火葬場の扉が閉められたとき。火葬が終わって骨だけになったお父さんと対面したとき。張り合いがないと思っていたお父さんがいなくなることの寂しさと、他の色んな整理できない想いと、がこみ上げてくる。大きかったお父さんはもういなくなったけれど、張り合いがなくなったと思っていたお父さんだけれど、やっぱりお父さんは大きかった。

20歳も年上のややこしいお父さんと40年近くも付き合ってきたお母さんは、最後のお別れのとき、お父さんに「ありがとう」と小さな、だけどしっかりした声で言った。抱いてもらったことも覚えていないだろう1歳7カ月の私の娘は、それでも空気の違いを感じた風で「じいちゃん、ねんね」「じいちゃん、ねんね」を繰り返した。

結局、お父さんは幸せ者だ。

お父さん、まだだいぶん先になりますが、今度は二人でゆっくりお酒を呑めますか。それとも、まだややこしい父のままで、ゆっくりお酒を呑んで話すこともできませんか。