さべひろのこと

お腹が減りました。

ふりかえり

年末年始休暇から戻る新幹線に揺られ明日からの仕事を思いながら、昨年、仕事を通して身に染みた教訓を二つ記しておく*1。頭ではわかっていたけれど、そして改めて言うほどのことでもないんだけれど、それでも結局私はわかっていなかったんだということを。

一つ目:資源は有限

1日は24時間で、かつその内でキチンと頭を働かせて活動できる時間は、均せば結局2桁時間いけばいい方。その限られた時間でやり繰りするしかないし、それ以上のことはできない。

私は今まで、できるだけ幅広いタスクを抱え、それらの機械作業を抽出し並行して手を動かしながら、計画系の検討で頭を使い、アイデアがまとまってきたところで、機械作業の合間に細切れに検討結果をアウトプットしていく、そんなワークスタイルで仕事をしていた。

結局これは、自身の企画検討の生産性の低さを、守備範囲とこなすタスクの物量でカバーするというスタイル。

立場変わって、企画検討のタスク割合が高くなり、先述のカバーするスタイルをとれなくなってきたのがここ数年。かつ、直近2年前後は大きなトラブルの中での仕事だったため、顧客との1時間の折衝だけでほとんど全ての体力を消耗して心身ともに疲弊し、回復するまで数時間かかった毎日を過ごしていた。

本当に本当に頭の悪いことだと思うが、そうして自分の力ではもう何ともならないところまで追いつめられて初めて、有限性について肌で理解できるようになったというのが、ここでの話の結局の背景。独りでできることは限られているので集合知を活かして...云々、という次元にさえ到達していないレベルの、もっと根源的で低次元な話。カバーして薄めてごまかしていたのが、薄められなくなって表面化してきて、ようやくわかった話。

それらを背景にして、この項の冒頭の結論を得たが、同時に他の二つのことも関連して得ることになった。我が身で有限性を理解して初めて、それはもちろん他者についても同様だとつなげられた点が一つ目。有限である資源の量を増やすのは、寝ないことではなく(短期に物理的な増やしをしても結局増えていない)、やり方のスキームを変えること(論理的な増やし)しかないのだということがもう一つ目に得たことだった。

二つ目:都合のいい解釈

これも同じく直近のトラブルの仕事の中で、上席や顧客に対しての会話を通じて痛感したこと。

状況がヒドいときはこれ以上ヒドい話は聞きたくない/これ以上ヒドいことにはならないと思ったり、状況がいいときでも今いいところなんだからそんなことはないよと思ったりで、とかく悪い報告は散発的に報告しても都合良く解釈され正しく伝わらない。

定期的な報告の中に、事前リスクの共有と状況の中期的な推移を項目として織り込ませておいて、何度も目に耳に入れておく必要があるし、それでも突発的に起こる/起こるだろうことの悪い報告は、受け入れられにくいことを大前提として(自分も言い辛いから言いたくないことを大前提として)、丁寧にいろんな手段を使って(時には感情的にでも)伝える必要がある。

身を粉にする努力

今回ふりかえりとして、身に付いていることを特に確認するのは上記二点。

誰かが言っていた。「実になる努力と、身を粉にする努力」がある、と。先に触れている、直近の大きなトラブルの中での仕事は、間違いなく後者に属する仕事だったと思う。それでもたとえば上述の教訓を脊髄反射的に身につけられたことを大事にして、ここから先を過ごしていきたいと思う。

*1:結局、娘が途中で起きてしまったので、新幹線内では書ききれなかったけれど、大半を車内でのiPhoneで書いた。携帯で書けるなんて素晴らしいことだ。