さべひろのこと

お腹が減りました。

そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私

つい先日、お世話になった会社の先輩が60歳の誕生日を迎えた。その先輩は再雇用制度を利用して引き続き会社に残るし、その先輩とともに仕事をしなくなって数年経つが、近し遠しのその先輩が一旦の区切りを迎えるというのは私には小さくないことで、つい色々と思いを馳せてしまう。

失敗のパターン

その先輩と最初に仕事をしたのは、私が新人のとき。新規の開発Projectが立ち上がるところに私もアサインされ、その先輩はProjectの現場長(=マネージャ)だった。私がそこで、現場長たる先輩から最初に課されたのは開発の規約づくり。当時、それは明らかに自身のスキルからかけ離れたタスクであるように感じられ身じろいだが、周囲の力も借りてひとまず何とか規約文書をアウトプットした。そして規約を施行するためにProjectメンバ全員を集めて説明会を実施。事なきを得たかどうか今やもうはっきりとした記憶はないが、説明会の終了を以て取り敢えずはタスクの最初のゴールに到達した。

だがその説明会が終わってすぐ、先輩に呼び止められ短く叱られた。それは、私が説明会の冒頭で「内容に不十分なところがあるかもしれないがひとまず連絡します」というような始め方をしたことに対しての叱責。「全員のこれからの対する姿勢/聞く姿勢を決める説明会の冒頭に、その内容があやふやであることを宣言しては意義が失われてしまう」というのが叱られた理由だった。

自身の成果物への指摘は自身の能力の否定に繋がるとしてそれを恐れ、恐れるがために冒頭に防御線を張ってしまったというあたりが、あやふやな始め方をした理由だと思う。結局これはまさに私の失敗のパターン。よく見られたい(否定されたくない)と我が身の保身を何よりも優先させ、本質を劣後させることにより起こす失敗のパターン。

この叱られた日から、後数ヶ月で10年になる。おかげで私は未だに、方法論として会の冒頭でその目的や意義を確認し浸透させることを忘れない。また、その私の失敗のパターンの根にある、ちっぽけな虚栄心を守りたい気持ちが前に出てこないよう監視することを忘れない。10年前のたった数分間のできごとが、今でも私の中では大切に残り、そしてそれが私とその先輩の始まりだった。

共同体の継続性

叱ってもらえることの重要性、失敗のパターンを認識しておくことの重要性を教えてもらった先輩に私は何ができるのか。

話変わって、私が大学生のときに働いていたアルバイト先に、面倒見よく私にも時折食事をおごったりもしてくれた同じ大学の先輩がいた。私はそのアルバイト先の先輩に、受けた借りを返そうと私にもおごらせてくれと何度か申し入れしたりもしたが、「俺には要らない、その分はお前の後輩によくしてやれ」と言われ決して受け取ってもらえなかった。この「その分はお前の後輩によくしてやれ」という言葉を最初に聞いたとき、今まで明確に意識していなかった『共同体の継続性』を初めて認識し、感動したのを覚えている。そうか、今まで私は受けた恩は受けた人にだけ返したい(返せばいい)という意識が強すぎたんだ、と。そうか、先達から受けた恩を後進に返すことがその共同体における継続性を保障するのだ、と。

閑話休題、
ゆえに私ができるのは、その叱ってもらえる重要性と失敗のパターンを認識する重要性を、実務を通した何らかの形で他者に伝えること。

そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私

  • 特にここ数年の私の状況からおろそかにしてしまっていた「そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私」を支援するという気持ちを(むろんそれを行動の目的化することではなく)大切にすること。
  • もちろん、支援できるような正しい経験を身にまとうこと。

先輩の区切りの到来を契機に改めて考えたのは大きなところで言うとそんなことだった。

集団において他者を支援するということは、「そうであった私、そうなるはずの私、そうであったかもしれない私」を支援することに他ならない。
過去の自分、未来の自分、多元宇宙における自分を支援できることを喜びとすること。
そのような想像力を用いることのできない人間には共同体を形成することはできない。

『七人の侍』の組織論 (内田樹の研究室)

とにもかくにも

先輩、これまでお疲れさまでした。そしてこれからもまだまだよろしくお願いします。