さべひろのこと

お腹が減りました。

一週間

地震から一週間が経った。

私は、地震当日に会社に泊まったことで(着の身着のまま椅子に転がって寝るという行動を経たことで)、いつもと違う状態を日常のものとして調整する移行を、まったく意図せずに心身ともにスムーズに行えた。なので、停電がどうとか電車が来ないとか買い物が不自由だとか、普段の私なら逐一心の波を高くしてしまうようなことも、そのできごとの本来の性質どおり取るに足らない小さなこととして迎えることができた。その小さなことに対する似つかわしくない喧噪を穏やかに眺めながら、私は普段のスタイル崩さずに、やむなく変えなければならない部分のみ楽しんで変えて過ごした。自分を客観的に見ても平穏な自分自身が不思議だった、そんな一週間。

朝に家のドアを開け気候の穏やかさ感じたなら、空を見上げ繋がった先の東北の地の穏やかさを思い安心する。冷え込みを感じたなら、それによる過ごし辛さを思い心痛める。朝に風呂で温かい水を浴びれば、蛇口のずっと先の断絶を思い早く温かいお湯が届くことを切に願う。そういう風に日常の中でいつもよりずっと広くつながりを意識した一週間。

里親になるという支援があると聞き、反射的にそれになろうと声に出したが、自分の子どもの保育時間の短縮に四苦八苦している有様で何を言う。実は物資が不足していると聞くも、免許も持たないのに何を言う。身の回りの小さなことには影響されないつもりになっていても、自分の手を動かす直接的な支援ができていないことによるもどかしさには心の波が高くなる。結局、普通に過ごすのも実はやっぱり大変だ、という一週間。