さべひろのこと

お腹が減りました。

10年目のお墓参り

f:id:hsabetto:20111002193834j:image:w240:right昨日の夜、夜行バスで北陸に入り、今日、福井にて旧友のお墓参りに行ってきた。毎年、この前期末(若しくは、後期初)の週末は福井に入るが、数えたらそれを恒例化して今年で10年目になる。帰りの新幹線に揺られながら、節目にその頃のことを書いておきたくなった。

彼女とは、高校を卒業してお互いが浪人として大阪の予備校に通っている頃に知り合った。確か、当時の私の彼女づてに友達になったんだと思う。

その後互いに大学生になり、そして互いに東京で社会人になった。偶然、彼女とは同じ業界に就職し、これまた偶然、同じ最寄駅に住まうことになった。

私にとっては社会人二年生のある春の日の休日の昼間、気丈な彼女から珍しく不安げな声で電話があった。とある診断の結果、詳細の診断が必要になり、地元(福井)で少し入院しなければならないかもしれないという。そのときは、電話の背景に、一度帰るともう戻って来れないのではないかという本人の不安があったことを私は想像だにできなかった。「じゃあまあ、地元で親御さんを安心させてあげて、さっさと戻ってきたらええやん」みたいな励ましの(つもりの)言葉をかけた。親御さんに大事にされてる子なんだなあと呑気に思いながら。

実際にその後しばらくして、彼女は本当に一旦福井に帰ることになった。彼女の彼氏と共に、帰る彼女を東京駅に見送りに行ったときも、彼女はひどく不安げに見えた。同じように励ましつつ、なんや可愛いところあるやん、みたいに呑気に私は思っていた。

結局、彼女は、その後、東京には戻って来られなかった。それどころか、たった数ヶ月後の夏が終わろうとする頃に、この世からもいなくなった。

彼女が福井に帰った少し後にもお見舞いに行ったが、また私は呑気で、ちょっと長引いてるなくらいしか思えなくて、そんな近い未来のことは想像できなかった。結局、もう先が長くないと直接教わるまで、自分では想像することができなかった。

実は、彼女が死んでしまった直後から今までも、私はきちんと泣いていない。それは、直後から今までも、その現実をまったく受け入れることができてないから。少し様子がおかしかった彼女の電話の声と、東京駅で見送ったときの少しおかしかった彼女の態度を、今でも鮮明に覚えているのと同じように、私の気持ちは最後まで自分で気がつけなかったときのままから、進めていない。

実は、お墓参りしていても、まだいるはずなのにと、最初からすごく変な気分だった。最近も、私にとってすごく大事な人ができたよと紹介したり、近況報告したりしていても、何割かはまだ変な気分が抜けなくて。

こう書いていると、少し何かこみ上げそうになっても、結局、何かつっかえているものがある。うんそうか、私は10年経ってもきっとまだ整理ができていないんだ。そして、10年の区切りで整理しようと書き始めてみても、それは多分達成できなかった。

福井で眠っているはずの友人よ、ダラダラと申し訳ないけど、もうしばらく、もしかしてずっとこのまま、付き合ってください。また来年、きっと変わらない気持ちでまた福井に行きます。しまらない私でごめんなさい。