さべひろのこと

お腹が減りました。

久しぶりの神戸

昔馴染みの街に降り立つと、何となく昔住んだ場所に足が向かう。 昔住んだビルはまだそこにあったし、少し変わったけれど、街並みも変わらずそのままだった。

この日は、朝に東京を出て、昼に吹田の友人宅に遊びに行き、夜に神戸で別の友人と待ち合わせて遊ぶことにしていた。夜は少し遅くまで遊ぶ予定だったので、吹田から神戸に移動している最中に妻と娘と別れ、一人で神戸に向かった。神戸を一人で歩く時間を作りたかったので待ち合わせ時間より早めに神戸に着いて昔馴染みの街をぶらぶら歩いた。

神戸に住んでいたのは、大学4回生から3年間ほど。新神戸トンネルの出口近くの、新神戸駅の南の、三宮駅の北東の、確か住所は神戸市中央区生田町だったはずの、地震にも耐えた古い5階建てのマンションに私は住んでいた。

ぶらぶら歩きながら、あの頃は何をしていただろうと考えた。大学はサボれるだけサボって、働いていた。知的労働のフリをしたどちらかと言うと労働集約的な仕事を。とにかくお金はなかったけれど、それとよく働いたこととの直接的な相関関係はなかったんだと思う。他にはそうだ、毎日日記を書いては自分のホームページにあげていた(その頃はブログというサービスはまだ生まれてなくって、自分でhtmlを書いてFTPでサーバにアップしていた)。毎日日記に何かを書くだけの活動はきっとしていたのだと思う。

マンションのすぐ近くには、例えば新神戸ロープウェーがあって例えば布引ハーブ園に行けたし、例えば北野の異人館にも歩いてすぐだったし、そんな観光ガイドブックのカラーページに載るような場所が近くに幾つかあった。でもここに住んでいた頃の私は、そこには決して足を踏み入れなかった。その頃の自分と、ガイドブックのカラーページに載る場所とは、私の側に明確な境界線があって、近づくことができなかった。私にはそこに足を踏み入れる資格がないと何となく考えていた。それはいったい何の資格だといえばいいのだろう。そして、そのときは行く必要もないと強がってもいたかもしれないけれど、でもやっぱり境界線を引いていたのは私の側のほうだった。

f:id:hsabetto:20120526182806j:image:right:w200線を引いていた頃より10年以上経った今回、新神戸ロープウェーに乗ってみた。眼下に布引の滝が見えて、既に夕方だったのでハーブ園には入り口しか行けなかったけれど、ここには家族と来るべきだったと悔やんだ。

気を強くして、北野の異人館街を少しだけかすめてみた。そこは結婚式が多く執り行われる場所でもあるようで、幾つかの施設で幾つかのカップルが来たる結婚式に向けて打ち合わせをしていた。スゴく明るく見えたこの界隈が、そういう場所だったということを初めて知ったことが何となくおかしかった。でも、ここに住んでいた頃の私がここに近づかなくてやっぱり良かったのだろうと何となく思った。

その後は南に下って、三宮のセンター街などを少し歩いた。ここに住んでいた頃にセンター街に来る目的といえば漫画喫茶に来るためくらいで、だからその頃と較べてみてというのは本当はおかしいけれど、それでも較べてみると、変わらず、もしかしたらそれ以上の活気があって、安心した。嬉しかった。この街はこのままの活気を失って欲しくないと思っている自分を見つけた。

こうやってたまに来る度に取り留めもなく色んなことを考え、思い出すけれど、とにかく私は神戸が好きだということをやっぱり最後に思い出した。