さべひろのこと

お腹が減りました。

嵐山

年始1/4に嵐山に行った。

今年の年末年始休暇は、『広島(妻の帰省) → 博多 → 大阪(私の帰省) → 京都』という行程で過ごし、最後の京都で嵐山に行った。正確にはふと天龍寺に行きたくなって、その天龍寺が嵐山にあっただけというのが、嵐山に行った理由だったのだけれど。

大学生の頃、車でどこそこにいく途中に、嵐山の近くを通ったことは何度もあったけれど、足を踏み入れたことはなかった。車で近くを通ると不意に交通量が増えて混雑に巻き込まれ、ああ嵐山が近いのかと苦々しく思ったのが嵐山に対する若き頃に持った印象だった。そうして、中身はどうであれ面倒な地で、わざわざ行くことはないだろうと(不幸にも)勝手にカテゴリ分けしてしまった地だった。

さて、そんな先入観が前提としてあって、だけど今回は天龍寺のついでについてきた嵐山だったが、行ってみると史跡が豊富な文字通りの名勝で、5時間に満たないくらいの滞在では満足に回れない素晴らしい地だった。

最初に天龍寺に行って、後は近くを適当に少しかすめて早々に別に地に移ろうかと思っていたのが、当初予定だった。実際は、嵐山に向かう道中にて早々と娘が寝始めてしまい、天龍寺に上がれなかったため、先に野宮神社から清涼寺に周り、そうこうしている内に娘が起きた後に湯豆腐を食べて最後に天龍寺という行程で、楽しく廻った。


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野宮神社

色んな願いが叶う節操のないお寺だったが、少し奥に入った所に広がる苔がたいへん見事。一見の価値あり。樹皮がついたまま作られた鳥居も珍しくて面白い。
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竹林の小径

小径と言いつつ道は思ったよりずっと長くて、まっすぐに伸びた竹が整然と生える様は息を呑む。
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嵯峨天皇皇女の墓、落柿舎

一面に広がる田んぼに面して位置していていい雰囲気。
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清涼寺

浄土宗らしい大きくて立派なお寺。
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湯どうふ 竹仙

ふらっと入ったにも拘らずどれもこれも上品で美味しかった。大満足。
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天龍寺

庭園が静謐で素晴らしい。本堂から胡座をかいて庭を眺めてのんびり、ということができるわけではなくて残念。
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心残り

二尊院とか、常寂光寺とか、娘が寝ていたためもとい時間が足りなくて、前を通るだけで中に入れなかった。また行こう。大覚寺にも行かないと。
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Aerosmith World Tour 2011 in 札幌

楽しかった。本当に楽しかった。いいパフォーマンスだった。本当にいいパフォーマンスだった。嬉しかった。本当に嬉しかった。最高だった。本当に最高だった。

若い人から年寄りまで、幅広い人が来場していた、みたいにちょっと周りを見渡す余裕を見せようかと思ったが、いやそんなのどうでもいい。どうでもよかった。誰が来てるとかまったく関係がない。俺とAerosmithの物語に関係ないやつはみんなエキストラだ。

俺の席は通路側席だったが、一つだけあった隣はおばちゃん2人組だった。でもそれもどうでもいい。おばちゃんだろうがグラビアモデルだろうが、一つの対象からしか感受できなくなっている俺には関係ない。でもただ、コンサートが終わって席を離れるとき、俺は隣のおばちゃんに「お疲れ様でした」と声をかけていた。最高の空間と時間を共感した仲間と思ったのか、こんちくしょう。でも、そう言わずにはおれなかったんだ。

もう彼らは60歳を超えているので、今回の来日が公演としては最後の来日になると思った。だから、今回の日本公演の最終公演になる札幌に聴きに行かなければならないと思い、来た。流石に何らかの目に見える衰えはあるだろうと思った。それを現実としては受け入れたくなかったが、それでも最後なんだから観に行かなければならないと思い、来た。ところが、1998年の大阪ドームからずっと通って観てきた限り、とんでもない、何ら変わらなかった。もとい、その中でも最高のパフォーマンスじゃないかとさえ思った。それを目の当たりにして、最後の来日公演という冷静で真っ当な分析は何処かにいってしまい、またアルバムツアーで来るだろうとさえ思った。

と、

非常に濃厚な2h30mだった。心残りは、奥さんに聴かせてあげられなかった点だ。彼女なりに楽しめただろうに。何より共有したかった。ごめんね。

Set List

01. Draw the Line (Draw The Line :1977)
02. Love in an Elevator (Pump :1989)
03. Toys In The Attic (Toys In The Attic :1975)
04. Jaded (Just Push Play :2001)
05. Janie's Got a Gun (Pump :1989)
06. Livin' on the Edge (Get A Grip :1993)
07. Stop Messin’ Around (Freetwood Mac cover)
08. Drum Solo
09. The Other Side (Pump :1989)
10. Hangman Jury (Permanent Vacation :1987)
11. What It Takes (Pump :1989)
12. Last Child (Rocks :1976)
13. Boogie Man (Get A Grip :1993)
14. Combination (Rocks :1976)
15. No More No More (Toys In The Attic :1975)
16. SOS Too Bad (Get Your Wings :1974)
17. I Don't Want to Miss a Thing (Just Push Play :2001)
18. One Way Street (Aerosmith :1973)
19. Sweet Emotion (Toys In The Attic :1975)

encore

20. You See Me Crying (Toys In The Attic :1975)
21. Dream On (Aerosmith :1973)
22. Cryin’ (Get A Grip :1993)
23. Walk This Way (Toys In The Attic :1975)
24. Angel (Permanent Vacation :1987)
25. Mama Kin (Aerosmith :1973)

すき焼き

f:id:hsabetto:20111120193630j:image:w240:right昨晩の夕食は奥さんのたっての希望で、すき焼きだった。

すき焼きは、私には決して美味しいと思えない料理で、どちらかと言えば好きでない部類に入る料理だ。だから何年も食べていなかったのだけれど、奥さんの口からすき焼きと聞いた途端、何だかたくさんのことを思い出した。好きでないけれど、多分特別な料理。

子どもの頃、正月に母方の親戚と一堂に会するときは、すき焼きを囲むのが常だった。昼間から始まる宴は、酔っぱらった大人たちのつまらない話とともにだらだらと進み、後半には濁ってすっかりしなびてしまったすき焼きの具はもう美味しくなかった。私にとってお正月の食事は、おじいちゃんの代から引き継いだお餅つき機で作るつきたてのお餅を、白みそのお雑煮で食べるか、きな粉をたくさんまぶして食べるか、が一番だったので、それを断ってまで、つまらない話につきあって美味しくないすき焼きを食べるのは楽しくなかった。山のように砂糖を盛って醤油をどぼどぼかける味付けも、その所作にはわくわくしたりした反面、何だか無粋に感じてしまった。唯一の楽しみは、卵は一日に一つしか食べてはいけないいつものルールが、お正月のこの日には解禁されて、すき焼きのつけ汁になる卵はおかわりが許されたことくらいだった。(それだってだけど、あっという間に色が落ちて行く卵にいつも寂しさをおぼえたんだけど)

くだらない思い出は他にもある。確か私が小学校高学年くらいの頃、母か妹が、すき焼きのつけ汁にマヨネーズを使うと美味しいという食べ方を仕入れてきて、早速家でそれを試したことがあった。すると父は何が気に障ったのかその食べ方に烈火の如く怒り、マヨネーズをすき焼きにぶちまけて、その晩のすき焼きはぶち壊しになってしまった。(私も、卵を差し置いてマヨネーズだなんて認められないと主張した側だったのだが、そんなに怒る父親を理解はできなかった)

まだある。一晩経って余ったすき焼きの鍋にもう一度火を入れて、卵を落として目玉焼きにすると美味しいと母は言い、何度か作ってくれたけど、私には普通の目玉焼きの方が何倍もおいしかった。

と、今思えば楽しいけれど、当時は楽しくないことばかりのすき焼きのことを思い出しながら、昨晩はすき焼きだった。

娘にとっては昨晩のすき焼きが初めてのすき焼きだった。卵につけてやや甘くて濃い味付けの具を食べるのがものすごく楽しくて美味しいらしくて、いつにも増して大量にかき込んでいた(食べ終わった後、食べ過ぎてお腹が痛いと泣いていた)。私にとっても久しぶりの昨日のすき焼きは、なんと美味しかった。自分で好みに味を付け、満足そうな奥さんと満足そうな娘を見ながら、自分も気がついたら貪るように食べていた。

何層かのあまり楽しくないすき焼きの思い出の一番上には、現時点では昨晩の美味しかったすき焼きが乗っかってる。

10年目のお墓参り

f:id:hsabetto:20111002193834j:image:w240:right昨日の夜、夜行バスで北陸に入り、今日、福井にて旧友のお墓参りに行ってきた。毎年、この前期末(若しくは、後期初)の週末は福井に入るが、数えたらそれを恒例化して今年で10年目になる。帰りの新幹線に揺られながら、節目にその頃のことを書いておきたくなった。

彼女とは、高校を卒業してお互いが浪人として大阪の予備校に通っている頃に知り合った。確か、当時の私の彼女づてに友達になったんだと思う。

その後互いに大学生になり、そして互いに東京で社会人になった。偶然、彼女とは同じ業界に就職し、これまた偶然、同じ最寄駅に住まうことになった。

私にとっては社会人二年生のある春の日の休日の昼間、気丈な彼女から珍しく不安げな声で電話があった。とある診断の結果、詳細の診断が必要になり、地元(福井)で少し入院しなければならないかもしれないという。そのときは、電話の背景に、一度帰るともう戻って来れないのではないかという本人の不安があったことを私は想像だにできなかった。「じゃあまあ、地元で親御さんを安心させてあげて、さっさと戻ってきたらええやん」みたいな励ましの(つもりの)言葉をかけた。親御さんに大事にされてる子なんだなあと呑気に思いながら。

実際にその後しばらくして、彼女は本当に一旦福井に帰ることになった。彼女の彼氏と共に、帰る彼女を東京駅に見送りに行ったときも、彼女はひどく不安げに見えた。同じように励ましつつ、なんや可愛いところあるやん、みたいに呑気に私は思っていた。

結局、彼女は、その後、東京には戻って来られなかった。それどころか、たった数ヶ月後の夏が終わろうとする頃に、この世からもいなくなった。

彼女が福井に帰った少し後にもお見舞いに行ったが、また私は呑気で、ちょっと長引いてるなくらいしか思えなくて、そんな近い未来のことは想像できなかった。結局、もう先が長くないと直接教わるまで、自分では想像することができなかった。

実は、彼女が死んでしまった直後から今までも、私はきちんと泣いていない。それは、直後から今までも、その現実をまったく受け入れることができてないから。少し様子がおかしかった彼女の電話の声と、東京駅で見送ったときの少しおかしかった彼女の態度を、今でも鮮明に覚えているのと同じように、私の気持ちは最後まで自分で気がつけなかったときのままから、進めていない。

実は、お墓参りしていても、まだいるはずなのにと、最初からすごく変な気分だった。最近も、私にとってすごく大事な人ができたよと紹介したり、近況報告したりしていても、何割かはまだ変な気分が抜けなくて。

こう書いていると、少し何かこみ上げそうになっても、結局、何かつっかえているものがある。うんそうか、私は10年経ってもきっとまだ整理ができていないんだ。そして、10年の区切りで整理しようと書き始めてみても、それは多分達成できなかった。

福井で眠っているはずの友人よ、ダラダラと申し訳ないけど、もうしばらく、もしかしてずっとこのまま、付き合ってください。また来年、きっと変わらない気持ちでまた福井に行きます。しまらない私でごめんなさい。

絵コンテ

f:id:hsabetto:20110930133946j:image:w240:right昨日、プレゼンテーションを動画で作成した際、絵コンテを作った上で動画を作成した。普段は目にもしない絵コンテを作ってみて、動画を作成するときだけでなく通常のプレゼンテーションシートを作成する際にでも、絵コンテが優れたツールであることがわかったので、メモ。

使い方

絵コンテは右図のようなレイアウトになっているが、昨日の私は左列から以下の使い方をした。

  • ナンバリング
  • 絵 : 視覚的にどう表現するか、デザインとレイアウトを記述
  • 目的: このページが存在する目的、このページで訴求したいポイントを記述
  • 文字: 文字としてどう表現するか、フレーズを記述

利点

いつもだと頭の中に大筋をざっと構築して後は手を動かしながら考えるか、もしくは簡単にメモから始めて後は同じく手を動かしながら作りこんでいくところ、訴求ポイント・視覚表現・文字表現を一つ一つ明確に定めて記述したことで、それぞれのポイントをブレずに定めることができた。また、絵コンテで全体の流れを視覚的に見ることで、頭で構築しているより具体的に全体俯瞰した上で効率的に個別のバランス調整ができた。
更に、昨日は複数人数での制作だったのだが、絵コンテを作ったことで、

  • 最初に全体の流れを共有しレビューできた
  • 役割の分担が絵コンテに基づいて明確に行えた

ことがよかった。

f:id:hsabetto:20110930191330j:image:w160:left要は基本設計書ちゃんと作りましょうということだが、他の業界で使用されているツールがこんなに素晴らしいなんてという発見が一番嬉しくて。きっと取り入れてみると有益な他業界での標準ツールが他にもたくさんあるんだろうなあ。やっぱり何事も経験が一番。

奥さん出張中の週記_3

09/22(Thu)

「昨日の夜中起きて、お茶ちょうだいってお願いしたのに、父ちゃん起きてくれなくてさびしかった」と非難されるところから始まる朝。私にそれを求めてはいけません。

朝ごはん中、ニヤニヤしながら「母ちゃんはどこ?」と訊くので、「中国やん」と答えると、「違うよ。広島に花火見に行ってるんだよ」と。お前、それ言いたかっただけやろ。という感じで、今日になって漸く「母ちゃん」という単語が出てきた。深層的にそろそろ恋しくなってきた様子。

09/23(Fri) 秋分の日

昨日の朝、今日が休みだったことを再認識して、どうせなら旅に出ようと思い、娘にどこに行きたいか訊いてみると、山に行きたいと言う。ユーザの "山" の要件もきちんと確認せずに安易にプランニングした結果、新潟や群馬辺りの山間部に向けて北上し、気持ち良く風呂にも入りたかったので温泉地を渡ることにした。

f:id:hsabetto:20110927202458j:image:w120:rightまずは上越新幹線から上越線へと乗り継いで新潟県南魚沼の六日町へ。田んぼの中を北上する列車に揺られて進むと、台風になぎ倒された部分がそこここに見えて心配になりつつも、収穫直前の金色に輝く稲穂が見事で美しい。

f:id:hsabetto:20110927234101j:image:w120:leftf:id:hsabetto:20110927234100j:image:w120:left駅に着き、オフシーズンの寂れた商店街の喫茶店で腹を満たし、足湯に浸かりつつ早速山に向かってみる。山に向かう頃には娘は昼寝を始めてしまったが、その隙に山の麓付近にある城址の各遺跡を周ったりして大人時間を楽しむ。地元の子どもたちのたまにの遊び場所になるかくらいの寂れた場所に、でも4世紀前まではあった人の営みが確実に感じられて想像力をかき立てられる楽しい時間を過ごすことができた。

ひとしきり散策した後は本旨に戻り、その内に目を覚ますだろう娘に眺望でも見せてやろうと山(坂戸山)を登る。ただ残念ながら選択したルートは水害で途中の山道が崩落しており今日のハイキングは断念。その代わり、ほどなく目を覚ました娘を山の麓の公園に連れて行き、自宅周辺では目にすることができない小さな昆虫たちと戯れて日が暮れるまで遊んだ。この日はこれでおしまい。

より大きな地図で 20110923_六日町 を表示

09/24(Sat)

f:id:hsabetto:20110929001520j:image:w160:right次の目的地に行ってもよかったのだが、やはりどうにも昨日断念した眺望を娘に見せたくて、別ルートでもう一度山に登る。こちらのルートは他の登山客も多く、問題なく登り切ることができた。

f:id:hsabetto:20110929001521j:image:w160:left目の前に浮かぶ鷲や、お米になると覚えたての水田の全体像なんかに興味を持ってくれるかなという親の要件はそっちのけで、道中生えていたキノコや見つけたコオロギさんなんかが楽しくてしようがないよう。まあ少しでも記憶に残っていればそれでいいや。

下山し、六日町を後にして、ローカル線を乗り継いで群馬県の沼田へ。沼田駅からバスに乗り換えて老神温泉を訪れた。この日は温泉を楽しんでおいしいご飯を食べておしまい。

より大きな地図で 20110924_老神温泉 を表示

09/25(Sun)

旅行中、娘は普段よりも早寝早起きで、温泉に来たらできるだけお湯に浸かる父親に付き合って朝も晩もお風呂についてきてくれた。他の遊びをしたかっただろうに、ありがとう。

この日は、老神温泉内で催されていたそば祭りを軽くかすめ、帰路に着く。高崎で途中下車して、昼食や公園遊びをした後、成田空港へ。奥さんをお迎え。到着口で待っていたとき、母親を見つけた娘が「お母ちゃん」と言いながら喜んで走っていく背中は可愛かったなあ。
奥様、ということでたったの一週間でしたが、大過なく過ごすことができました。娘との接点いつもより少し広くして過ごすこと、それはそれで楽しかったです。おかえりなさい。

奥さん出張中の週記_2

まだ「母ちゃん」という単語が一度も出てこないなあ。面白くない。代わり映えない普段の平日どおりで、平和です。

09/20(Tue)

朝ごはん、「父ちゃんの朝ごはん美味しくなくてゴメン」と言うと、「うん美味しくない」と娘。こんちくしょうめ。
仕事は楽ではないけれど、予定調和の中、問題なし。時間通りに切り上げて娘と帰り、少し遊んで寝かしつける。代わり映えない普段の平日どおり。
そういえば、先週末も妻方の叔母から同様の申し出があったが、今日になって私の実母からも今週末上京しようかと連絡があった。お気持ちありがたいのだが、どうも根本的なところで通じ合えていない気がして。子育ての面で我々に不足しているのは、父親のスキル不足ではなくて、絶対的な時間の不足なのに。普段は夫婦二人で分散融通して時間を作っているところ、片方の都合でもう片方に負荷がかかるとしんどいということで、それは私が家に帰れなくなるようなときも同じしんどさなのに。何れにしてもこれは我々がこれでいくと判断して選択した道なので基本的に自分たちで進んでいくのです。なので堅苦しいこと言わないで自分たちの気の向いたときにお気軽に娘に会いに来てください。(という話を当人らとしないといけないのだな)

09/21(Wed)

朝早く起きて仕事をしていたら、PCの時計が少しおかしかったことと集中していたことで切り上げる予定の時間を過ぎてしまった。ということで今日の朝ご飯は果物なし。
朝、私がお風呂に入っていると娘は寝ぼけながらベッド越しにお風呂の方を覗き込む。ドアを開けてそろそろおいでというとしぶしぶながらも歩いてくる。昨日からなかなかいいリズムで楽でいい。
登園時、一日雨とわかっていたので、娘は傘と長靴を装備。ちゃぷちゃぷ大喜び。
夕方になると台風が東海地方に上陸。その影響で首都圏の交通機関は大半が止まってしまったが、効率的に迂回して私は普段の1.5倍くらいの時間で帰宅できた。早めに会社を出ていたので10分ほどの遅刻で保育園お迎え。絵本読んで寝かしつける。
その後、私はレポートまとめたいが筆が進まなくて、これを書いてる。逃避中。

奥さん出張中の週記_1

奥さん、我々は元気にやってます。

09/18(Sun)

奥さんは14時発の成田空港発上海行きの便で出発。娘と空港まで送りに行ったが、娘は空港の店やら施設やらが楽しいらしくて遊び回り、奥さんとの別れなんてどちらかというとどうでもいい様子。あっさりしたもの。寧ろ、まだいたのかという態度。
奥さんを送った後、偶然、友人が一時間後に別件で空港に来るとのことで(ソーシャルネットワーク!!)合流。合流後、娘は友人の娘二人にひとしきり遊んでもらい、友人の用も済んだところで解散。
空港からの帰りに恵比寿に周って買い物し、ついでに晩ご飯も食べて帰宅、就寝。晩ご飯に入ったネパール料理の店は美味しかった。また行こう。

ソルティーモード

食べログ ソルティーモード

そう言えば、晩ご飯のお店に居た人と色々話をしている内の「どういう経緯で小さな娘さんと二人でここのご飯を食べにきたのですか」という質問には何と答えればよかったのだろう。

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09/19(Mon) 敬老の日

6時に起床した私にツラれて、娘も起床。もとい、私は既にリビングに居たのだが、目が覚めた娘はベッドでの一人ぼっちに慌てふためいてベソかきながらリビングに確認にきた。落ち着かせてもう一眠りさせる。
朝ごはんは、昨晩スーパーで買っておいた惣菜とパン。果物は買い忘れてしまった。朝に奥さんの様にチャチャとご飯を用意するスキルはありません。さびしい食卓でゴメンよ、娘さん。
午前中は、娘の相手をしながら、洗い物や洗濯や掃除やら。午後は、馴染みの喫茶店に行った後、公園でのアスレチック遊びや水遊びと、図書館と、のフルコース。ここ最近の休日は、奥さんと半日ずつ働いて交代して子守してだったので、今日は丸一日全ての望みを叶えてやろうという主旨の日。
晩は焼鳥食べて帰宅、就寝。焼鳥屋は渋い店だった。明らかに場違いで少し引かれたけど後は親切にしてくれた。

園香

食べログ 園香

かなり珍しく微妙に寝付きが悪かったのだが(半時間近くかかった)、まあ昼寝しすぎたからかしら。娘寝た後は私も落ち着いて仕事、と思いきやしばらく後に呼び戻されて寝オチ。仕事があああ。

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四年ぶりの旧友と会って

今日、何度か「久し振りに、茶でも飲もう」と言いながらも、都合が合わなくて、なかなか会えなかった、今は大阪に住む友人と、大阪でようやく会えた。会うのは、私の結婚式に来てくれたとき以来、四年ぶり。

今日の午前中に大阪で設定された打ち合わせのために、私は昨日の夜から大阪入りしていた。打ち合わせは、難しいテーマを議論するもので、午前中に終わる保証はなく、始める前はどう転ぶかわからない状況だったが、結果予定通り終えることができた。そして、朝の内から見切りで連絡取っていたその友人と、夕方になって会うことができた。

ちゃんと話しをするとなると、四年ぶりどころではなくて、もっと遡るんだと思う。なので当然、お互いその分、歳をとった。だけどこう、話しをしながら見えるその友人の表情には、正しく年輪が刻まれているように見えて、そのことが最も印象的で、嬉しかった。もっと言うと、変わらないな、ではなくて、もちろん知らない沢山のことが、友人を変えていて、だけどちらほら見える変わらない幹の部分とか。

別れて、ぼうっと帰りの電車の車窓から風景を眺めるも、何だか視界がクリアになったようで、ああ心が晴れた感覚なんだな、と思いながら電車に揺られていた。

わかりました、また会うまでお互い元気でいましょう。

一週間

地震から一週間が経った。

私は、地震当日に会社に泊まったことで(着の身着のまま椅子に転がって寝るという行動を経たことで)、いつもと違う状態を日常のものとして調整する移行を、まったく意図せずに心身ともにスムーズに行えた。なので、停電がどうとか電車が来ないとか買い物が不自由だとか、普段の私なら逐一心の波を高くしてしまうようなことも、そのできごとの本来の性質どおり取るに足らない小さなこととして迎えることができた。その小さなことに対する似つかわしくない喧噪を穏やかに眺めながら、私は普段のスタイル崩さずに、やむなく変えなければならない部分のみ楽しんで変えて過ごした。自分を客観的に見ても平穏な自分自身が不思議だった、そんな一週間。

朝に家のドアを開け気候の穏やかさ感じたなら、空を見上げ繋がった先の東北の地の穏やかさを思い安心する。冷え込みを感じたなら、それによる過ごし辛さを思い心痛める。朝に風呂で温かい水を浴びれば、蛇口のずっと先の断絶を思い早く温かいお湯が届くことを切に願う。そういう風に日常の中でいつもよりずっと広くつながりを意識した一週間。

里親になるという支援があると聞き、反射的にそれになろうと声に出したが、自分の子どもの保育時間の短縮に四苦八苦している有様で何を言う。実は物資が不足していると聞くも、免許も持たないのに何を言う。身の回りの小さなことには影響されないつもりになっていても、自分の手を動かす直接的な支援ができていないことによるもどかしさには心の波が高くなる。結局、普通に過ごすのも実はやっぱり大変だ、という一週間。