さべひろのこと

お腹が減りました。

ファミレスモーニング

今朝は近所のファミレスで朝食をとった。ここでご飯を食べるのは、去年の今頃に家族みんなで初めて来たときから一年ぶり。

このファミレスは娘の保育園の近くの通り道にあって、娘にしばしば行きたいとせがまれる場所だ。たまにアンパンマンのフェアをやってるときがあってご飯を食べるとアンパンマンのシールが貰えることがわかっているからなのか、ドリンクバーでジュースがたくさん飲めるのがわかっているからなのか、レジ近くのおもちゃ売り場が楽しいのか、多分娘にとって色んな楽しいことがある場所だからだと思う。そして娘は、楽しいことがたくさんあるこのファミレスのことを、アンパンマンのお店と呼んでいる。

土曜日の昨日は午前中に保育園の保護者会があったのだが、土曜日の保育園イベントの後には外で昼食をとることを娘はもうわかっていて、保護者会が終わると娘はいの一番にアンパンマンのお店に行きたいとせがんだ。保育園の近所で終わってすぐのご飯を食べるのはアレだし、そもそもファミレスの気分じゃないという親の都合で「アンパンマンのお店は明日の朝ごはんに来ようね」ということにして何とかやり過ごしたのが昨日だった。

そんな土曜日の翌日の今朝、親たちは昨日の約束のことはすっかり忘れ、家でご飯を食べようと、もそもそと活動を始めた。そうすると、娘は唐突にアンパンマンの店に行こうと主張した。唐突にというのは親の側の勝手な心象に過ぎないのだけれど。

一度約束したことを簡単に反故にしてはいけないので、そうして今日の朝ごはんは約束通りアンパンマンのお店でになった。

さて、注文して運ばれてきたプレートを見て、奥さんの朝ごはんの方が栄養あって美味しいのになあ、価値あるものを置いてまでこんなものにわざわざお金を出して勿体無いなあと思ったところで、自分が子どもの頃のことを思い出した。

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お父さんは多分外食が好きな人で、でもお母さんは多分外食が嫌いな人で、そしてそのお母さんの嫌いはきっと勿体無いに端を発していたように思う。子どもの頃のことを思い出したのは、今朝の勿体無いとお母さんの勿体無いがリンクしたからだろうと思う。

実家の近所にはロイヤルホストがあって、頻度は決して多くはなかったけれど、もちろんお父さんの急な気まぐれで、休日のモーニングにとそこに何度か足を運んだ。私は決まってホットケーキのセットを注文し、飲み放題のホットコーヒーをコーヒー牛乳にして2杯か3杯飲んだ。多分、勿体無いと思っていた方のお母さんの態度は不機嫌で、それを無視できない私はいつもと少し違う風味のはちみつにも感動してはいけない気がして大人しくしていた。私以外の家族が何を食べていたかはあまり記憶にないが、末っ子の弟は不機嫌な母をよそにパフェみたいなものに手を出していたような記憶がある。というか、お母さんは来なかったことすらあったはずだ。

他にももっともっとたくさんの今思い返すと面白いシーンがあったように思うけれど、もう残念ながら部分的な心象しか残っていなくってこれ以上は書き出せない。

−−

そんな自分の子どもの頃に比べれば、てんで波風のない今朝のファミレスモーニングだった。

ご飯が終わり、レジ近くのおもちゃ売り場で楽しそうに遊ぶ娘を見て奥さんは「子どもの頃の自分はそんなおもちゃ売り場には全く興味がなかった、弟は喜んでいたけれど私は早く帰りたかった」というようなことを言った。私にとってのファミレスモーニングは手放しで楽しんではいけない場所だったので、おもちゃ売り場に近づくことすらできなかった。

子どもの頃はあまりかわいくなかった夫婦から、素直で子どもらしい娘が生まれるのはどういう巡り合わせだろうなんてことを話しながら、今朝の朝ごはんは終わったのだった。何十年も後の娘の心に、ファミレスモーニングはどのように残るのか。後のお楽しみ。

LINEで受けた初めての迷惑メール記念

太田 かおり

突然失礼致します。
電話帳登録をしたら友達追加されていた為メールさせて頂きました。
接点が定かではありませんが、これも御縁ということでお話を聞いて頂ければと思います。

私は某芸能事務所にてマネージメント業務を行っております。

今担当してるのは国民的とも言える、多分皆さんご存知のタレントです。
ここ最近本人が雑誌やテレビでの取材、番宣目的での番組出演などで非常に疲れており、精神的に病んでしまっているようなのです。

実は、気晴らしになるかとLINEを本人に見せていたところ、あなたを見つけ本人が話してみたいとのことなんです。
なぜかあなたのことが気になっているようなのです。

当然本来はNGなのですが、元気になってくれるならばと私からもお願い致します。
本人を助ける為、メールだけで結構ですので連絡をしてみて頂けませんか?

本人に連絡を取る為に
diamond_ara_princess@ezweb.ne.jp
にメールをお願い致します。そこで直接話してみてください。

このLINEは個人アカウントの為、一度退会致しますのでお返事は出来ませんがご了承下さいませ
お待ち申し上げております。

色々満載だけれど、

なぜかあなたのことが気になっているようなのです。

のところをもう少し妄想膨らませた方が良かったんじゃないかなあ。

弟の披露宴での主賓の挨拶

弟へ。改めて。

皆さん、こんにちは。改めまして、新郎の兄です。

私からは大きく2つ、お話させていただこうと思います。
1つめは、新婦のご家族の皆様へのご挨拶。2つめは、新郎新婦に向けてのお話という順で、お話させていただきます。

1.ご挨拶

では1つめから。そもそもこの挨拶は、主賓の挨拶という題目で時間をいただいておりますが、私は主賓と言うよりもむしろ新郎側の親族代表ですので、その立場からお話させていただきたいと思います。

本題の前置きとして、私と新郎である弟を比べてみてというところから話を始めてみます。

私と弟は、似た遺伝子を持った兄弟なので、基本的な性能は同じです(同じです?)。ただ、長男の私が教育にかけるリソースを食い潰したというようなかけた教育コストの違いとか、母親の子育ての習熟度とか、もう死別した面倒だった父親との距離とか、バックボーンには色々な違いがあって、人格は当然違います。

で、どう人格が違うかということを考えたときに、例えば私は、若干性格が悪いです。ちょっと嫌なやつです。それに、どちらかというと人があまり好きではないです。(えっと、皆さん、ここは苦笑いくらいはするところです) 反して弟はというと、人懐っこくて人当たりも良くてまあいいやつです。別の言葉で言うと、私は基本的に自分が中心で、且つ、人と相対するときも斜に構えます。反して弟はきちんと正面で人と相対します。そんな違いがあると思っています。

この前置きを踏まえてようやくご挨拶なのですが、弟は思慮や経験浅く、ご迷惑やご不満に思わせてしまう点が多々あるかもしれません。ただ、今申し上げましたとおり、弟は端的に言うと屈託なくいいやつです。それを心のどこかに留めていただいて、暖かく接していただければ嬉しいです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。(深く礼)

2.夫婦以外の軸

さて、2つめ。次は、新郎新婦二人に向けてお話させていただきます。

私が密かに大事している言葉があって、それは私の奥さんの言葉なのですが、それを二人にも紹介したいと思います。
最初にその言葉を言うとそれは、「離れている時間を怖がらない家族でいたい。離れているときはお互い強くありたい。」という言葉です。

まず、この言葉の背景を説明します。私の娘は保育園に通っていますが、保育園が休みで、でも会社は休みでない日がありました。だから、会社を休むか、その日開いてる別の保育園を探してそこに一時的に預けるかを選択しなければなりませんでした。これからも同様のケースがあることや、他にも色んなことを考えた結果、別の保育園に預けることにしたのですが、そうやって奥さんとどうしようかとやり取りをしていたときに、奥さんから出たのがこの言葉です。

背景は以上ですが、今、この言葉を元に二人に何を伝えたいかというと、ちょうど今、新しく生まれた家族という軸にスポットライトが当たっています。でもそれとは別に、仕事をしているとか、例えば趣味を楽しむとか、基本的に二人で過ごすことのない家族以外の軸も二人にはあるはずです。そんな家族以外の軸もこれまで以上にそれぞれで強くして、且つ、それぞれの軸をきちんと尊重しましょう、ということが伝えたかったことです。そうやってそれ以外の軸を強くすることと互いの軸を尊重するという間接的なメンテナンスが、最も効果的な家族という軸に対するメンテナンスなんじゃないかと思っています。

以上がお伝えしたかったことです。「離れている時間を怖がらない家族でいたい。離れているときはお互い強くありたい。」改めてこの言葉を、二人にも送ります。

以上。長々と失礼しました。改めておめでとう。

久しぶりの神戸

昔馴染みの街に降り立つと、何となく昔住んだ場所に足が向かう。 昔住んだビルはまだそこにあったし、少し変わったけれど、街並みも変わらずそのままだった。

この日は、朝に東京を出て、昼に吹田の友人宅に遊びに行き、夜に神戸で別の友人と待ち合わせて遊ぶことにしていた。夜は少し遅くまで遊ぶ予定だったので、吹田から神戸に移動している最中に妻と娘と別れ、一人で神戸に向かった。神戸を一人で歩く時間を作りたかったので待ち合わせ時間より早めに神戸に着いて昔馴染みの街をぶらぶら歩いた。

神戸に住んでいたのは、大学4回生から3年間ほど。新神戸トンネルの出口近くの、新神戸駅の南の、三宮駅の北東の、確か住所は神戸市中央区生田町だったはずの、地震にも耐えた古い5階建てのマンションに私は住んでいた。

ぶらぶら歩きながら、あの頃は何をしていただろうと考えた。大学はサボれるだけサボって、働いていた。知的労働のフリをしたどちらかと言うと労働集約的な仕事を。とにかくお金はなかったけれど、それとよく働いたこととの直接的な相関関係はなかったんだと思う。他にはそうだ、毎日日記を書いては自分のホームページにあげていた(その頃はブログというサービスはまだ生まれてなくって、自分でhtmlを書いてFTPでサーバにアップしていた)。毎日日記に何かを書くだけの活動はきっとしていたのだと思う。

マンションのすぐ近くには、例えば新神戸ロープウェーがあって例えば布引ハーブ園に行けたし、例えば北野の異人館にも歩いてすぐだったし、そんな観光ガイドブックのカラーページに載るような場所が近くに幾つかあった。でもここに住んでいた頃の私は、そこには決して足を踏み入れなかった。その頃の自分と、ガイドブックのカラーページに載る場所とは、私の側に明確な境界線があって、近づくことができなかった。私にはそこに足を踏み入れる資格がないと何となく考えていた。それはいったい何の資格だといえばいいのだろう。そして、そのときは行く必要もないと強がってもいたかもしれないけれど、でもやっぱり境界線を引いていたのは私の側のほうだった。

f:id:hsabetto:20120526182806j:image:right:w200線を引いていた頃より10年以上経った今回、新神戸ロープウェーに乗ってみた。眼下に布引の滝が見えて、既に夕方だったのでハーブ園には入り口しか行けなかったけれど、ここには家族と来るべきだったと悔やんだ。

気を強くして、北野の異人館街を少しだけかすめてみた。そこは結婚式が多く執り行われる場所でもあるようで、幾つかの施設で幾つかのカップルが来たる結婚式に向けて打ち合わせをしていた。スゴく明るく見えたこの界隈が、そういう場所だったということを初めて知ったことが何となくおかしかった。でも、ここに住んでいた頃の私がここに近づかなくてやっぱり良かったのだろうと何となく思った。

その後は南に下って、三宮のセンター街などを少し歩いた。ここに住んでいた頃にセンター街に来る目的といえば漫画喫茶に来るためくらいで、だからその頃と較べてみてというのは本当はおかしいけれど、それでも較べてみると、変わらず、もしかしたらそれ以上の活気があって、安心した。嬉しかった。この街はこのままの活気を失って欲しくないと思っている自分を見つけた。

こうやってたまに来る度に取り留めもなく色んなことを考え、思い出すけれど、とにかく私は神戸が好きだということをやっぱり最後に思い出した。

会津若松

GWの後半の後半、岩瀬湯本温泉の後に、会津若松に行った。会津若松では、最初に市街地をレンタサイクルで周遊して、次に街の外れにある東山温泉という温泉地に宿をとった。今回の旅は、いつものようにあまり行程詰め込まないで、やや宿にいる時間を多くしてゆっくりしようというコンセプトだったので、街歩きに充てた時間は少なめだった。確かに少しゆっくりできたものの、行きたかった場所に行けなかった心残りがたくさんで。でもということは楽しくていい旅だった。

会津若松市街地

まず西若松駅で下車し、歩いて最寄りの鶴ケ城に行った。市街地には、市が運営している4箇所のレンタサイクルステーション(会津若松市観光公社|城下町レンタサイクル)があったので、自転車で周遊することにした。レンタサイクルは事前予約ができたし、乳幼児を前乗せ若しくは後乗せできるチャイルドシートも要望すればつけてくれるので、便が良かった。他には、市街地を巡る周遊バスもそこそこ充実していた。適度に残り適度なサイズで散らばる城下町のそれぞれの遺産が保全されていること自体ももちろん素晴らしいし、周遊する手段が用意されていることも素晴らしい。

鶴ケ城(会津若松城

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天守閣の目の前に芝生が広がる城というのはそういえばあまり記憶にない。城は松との相性がいいように思う何となくの先入観が私の中にあったかもしれないけれど、芝生越しに天守閣が構えるのを見る風景が私には新鮮でいいもんだと思った。

御薬園(会津松平氏庭園)

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周った中で一番感心し満足した名勝で、回遊式の美しい庭園だった。回っているときは気が付かなかったが、真ん中の池は心の字になっていたらしい。

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優雅ついでに庭園見ながら茶と茶菓子をいただりしてみたり。贅沢なことだ。

会津武家屋敷

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多分ここは、広大な屋外の博物館なんだと思う。少し街から外れたところに武家屋敷の機能ほぼすべてが再現されていた。これはこれで息を呑んだが私は街中そのままの、少し人の息がかかったところにある武家屋敷の方が好きだ。

天寧寺(近藤勇の墓)

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自転車を傍において、てくてく山登りしてみたりして。
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半分わかっていたけれど、こう、かけた労力のわりに、拍子抜けする結果だったりしたけれど。まま合掌。

会津酒造歴史館

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試飲ですでにぐでんぐでん。お酒美味しかった。

甲賀町口門跡

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ただひとつ残る郭門の一部。駅に通じる大通りはシャッター通りに近いようにも見えたけれど、その裏の通りは整備が進んでいて美味しそうな店もたくさんあって、そんな中にしれっと佇んでいた。今回は温泉街に宿をとったけれど、市街地に宿をとってどこで食べるか鼻を利かせて歩くのも楽しかったのかもしれないと思った。

東山温泉


大きな地図で見る
湯川に寄り添うきっと古くからある温泉街。今回はここに宿をとった。市街地から車を走らせれば10分ほどで着く場所にこれだけの温泉街があるのは素晴らしい。
朝の散歩にちょうどいい距離の中に小さな見所が散らばっていたので、ひと通り見て回った。見て回っている内に、綺麗な宿やおしゃれな宿もあるのが見えて頑張っているんだろうと。

以上、

初めて行った会津若松は、他の地方都市と同様に衰退の道を辿ろうとしていたところ、街や温泉で見たとおり踏ん張って立てなおしているさまが見て取れて、好感が持てた。旺盛に観光客を受け入れてそれを良い循環に回しているようにも見えて、同じく好感が持てた。

心残り

  • 東山温泉に隣接した松平廟所に行きたかったのだが行けなかった。きっと見ておくべきだと思ったのに。
  • 東山温泉にある羽黒山湯上神社に参ろうと1225段の石弾を登ってみたが、子ども背負いながらは辛く、バスの時間が迫ってきたので7割ほど到達した後に断念した。もう一度リベンジしたい!!
  • 市街地でおいしいもの探して食べたい!!

岩瀬湯本温泉

GWの後半に、福島県岩瀬郡の天栄村にある岩瀬湯本温泉に行った。天栄村は、落ち着いた自然の中にあって鶯の声が聞こえる長閑でいいところだった。

東武鬼怒川線から野岩鉄道を経て会津鉄道

岩瀬湯本温泉は、JR新白河駅からバスで30分ほどのところにあるが、バスが運休していたので、もう一方の最寄り駅である会津鉄道湯野上温泉駅を利用することにした。その湯野上温泉駅からは宿の車で送迎していただいた。会津鉄道へはJRから東武鬼怒川線と野岩鉄道を乗り継いだ。自宅(川口)からその湯野上温泉駅までは電車の待ち合わせ時間を含めると5時間ほどかかった。のんびりゆっくりと電車の旅を楽しんだ。

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途中の野岩鉄道ではずっと温泉と名のつく駅が続いた。温泉がいっぱいだ。今数えてみると、9つある駅の内、5つの駅に「湯」か「温泉」という名前が含まれていた。

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長閑に似つかわしくない綺麗な駅舎があったりして。

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それでものんびりローカル線の旅。

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目的地の湯野上温泉駅は、藁葺が素晴らしい美しい駅舎。

岩瀬湯本温泉

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岩瀬湯本温泉は開湯が9世紀と歴史あるところ(1,200年も前なのか)だそうだが、温泉街が形成されているわけでもなく、温泉宿がほんの2軒あるだけの、一見すると落ち着いたただの村落だった。

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集落の裏には棚田があって、まだ植え込みは行われていなかったが、稲が並ぶと一面美しいんだろうなと。たくさん散歩したかったのだけれど、それなりの雨が降った後だったのに気にせず歩いていて、泥に足首まではまってしまい、そそくさと退散したのはここだけの話。

湯口屋旅館

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宿は、その2軒の内、湯口屋旅館さんにお世話になった。立派な藁葺の大きな屋根をもつ木造の家屋で、元々郵便局だった建物を宿として改築したらしい。

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特にご飯を食べる囲炉裏の部屋が趣があって素晴らしかった。古い作りでもピカピカに掃除されていて、感心した。古いものが丁寧に使われている様は美しい。

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もちろん温泉はいい湯だった。透明で臭いもないけれど少ししょっぱくて、肌はすべすべ。

晩ご飯

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山のものが上手に料理してあって美味しい。文句なし。

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このへんは馬刺しを辛子味噌で食べるみたい。


と、飯もよし風呂もよし雰囲気もよしで、ゆっくりできて楽しかった。

他には、宿には娘と同じ年頃(一つ上の四歳)の子どもがいて、子ども部屋にまで上がりこんだりして二人で仲良く遊んでいた。お互い忘れない内にまた行かないと。

いい宿に巡りあえて幸せでした。

大手ではない企業に属する人材は、必ず量的拡大に対し違和感を持つ

いつぞやの日経ビジネスの記事で取り上げられていた『利益至上ではなく売上拡大が重要だ 』という命題に納得が行かなくて、最後まで個々の記事の内容が腹落ちしなかったことがあった。本当にそうなのだろうかと。高い付加価値を表す利益率の拡大が、本来は重要なのではないだろうかと。

先日、それなりに大きな合併を、継続的に繰り返している会社の人と話をする機会があった。合併それ自体を話題したわけではなくて、何かの背景として相手の社歴を聞く中で合併が続いていることに触れられた程度だったのだが、その日経ビジネスの記事を読んだときと同じような違和感を感じてしまった。そうやって量的拡大を進めることを一つの主たる手段としてしまっていいのだろうかと。

と言った話を、当社内の別の人に話をしたところ、以下の返信をもらい、びっくりした。

大手ではない企業に属する人材は、必ず量的拡大に対し違和感を持つ。それは、大手になれないことが分かっているので、それ以外を選択しようとするからである。ただし、市場は大きい会社からピックアップすることも事実であり、規模について心の中を透明にして、一度、見てみる機会にするとよい。

びっくりした、というのは、それは自分では全く気がついていなかった観点で、かつ、図星な答えだったからだ。当社は、従業員数でいうと単体で1,500人程度、連結でも3,000人いかない程度で、属する業界の市場占有率も全業態で平均するとおそらく二桁いかない。中堅企業だ。ゆえに、まさか自分の「高い付加価値を表す利益率の拡大が、本来は重要なのではないだろうか」という考えが、そんな自分のポジションを正当化することから発生していたなんて。

割合に大小はあっても、その人から出た考えの大部分は結局ポジショントークとなっている。

更地から考えることは本当に案外難しい。

バッテリー リセット ボタンだなんて

会社用に4年前に買って使っていたThinkPad X300が、バッテリおシャカでもはやデスクトップマシンとなってしまっていて、何よりSPEC厳くて我慢して使っていたのだが、4年経ってリースが切れるのでようやく買い換えることができた。次にはThinkPad X1を選んだ。

レノボ・ジャパン ThinkPad X300(SL7100/1G/64/SM/VB/13.3/3 647816J

レノボ・ジャパン ThinkPad X300(SL7100/1G/64/SM/VB/13.3/3 647816J

タイの洪水の関係とかで納期は遅れて、2月上旬に注文したものが、1ヶ月と1,2週間かかって3月の中旬に差し掛かった所でようやく納品されてきた。早速新しいマシンを使い始めたところ、バッテリの挙動がおかしい。もとい、電源アダプタを抜くとPCの電源も落ちる。ソフトウェアでバッテリのリフレッシュをしようとしてもPCの電源が落ちる。おまけにコンセントの抜き差しをしていたらいよいよ電源すら入らなくなった。少しバラして基盤コードの抜けなどを調べてみても一見問題なさそうなのに。

f:id:hsabetto:20120315223823j:image:w240:rightしようがないので修理依頼をしようとサポートセンターに電話したら、バッテリーのリセットを勧められた。裏面の足の直ぐ側にある小さな穴に針金入れると、リセットボタンを押せると教えられた(んなもん、わかるかいや)。リセットボタンを押すと電源は入るようになり、やったぞと使い始めるも、電源アダプタを抜くとまたうんともすんとも言わなくなった。教えてもらったリセットボタンを押すと立ち上がるので、復帰の方法はわかったがこれでは使えない。ノート型のデスクトップマシンがまた一台増えただけだ。

もう一度電話したらようやく引き取ってくれて、1週間足らずで元気になって帰ってきた。修理報告書を見ると、システムボードに不具合があったので入れ替えたとのこと。えらく大元に原因があったようで。バッテリそのものかすぐその近くではなかったのか。まま、使えるようになって良かった。

使い始めて調子が悪いことが判明したときに、いつものGoogle先生に訊ねたのだが、同様の症状には出会えなくて。ということで、Google先生は教えてくれなかったバッテリーのリセットに微妙な感動を覚えたので記録しておく。誰かがこのトピックを拾えるようになればいいな、と。

もとい、そんなことよりも会社でMac使いたい。

多分、ようやく、復調

年末から1ヶ月から2ヶ月、だらだらと体調がすぐれなかったが、ようやく復調した、と思う。

それは多分風邪から始まった。

私にとって、滅多にひかない風邪をひくのは、気を抜いて、特定のパターンの行動をしたときだ。ここのところの風邪のひき始めの黄金パターンは、冷房効き過ぎとか暖房効いてないとかの肌寒い会議室での会議中、気を緩めて居眠りするというもの。ひき始めの後は、おっと危ないと喉や体温の違和感を検知して、気を持ちなおして抑えこむのが大半だ。不幸にも悪化させてしまったときは、その後すぐに来る高熱フェーズを経て治っていくのが常だ。学生くらいの頃は、高熱フェーズから治るまで一晩あればよかったが、今は2,3日かかってしまう。経験則だと、薬飲んで熱を抑えるとかえって治りが遅くなり、なるに任せて熱は出させたほうがさっと治る。たまに引き受けてしまう私の風邪イベントは、そんな風に流れている。

今回は、年末に区切りよく、アサインされていたProjectでの役割を終え、ほっと気を緩めて参加した忘年会の最後で、あ、少しヤバいかもと、ひき始めパターンに陥ったのを感じた。だって、その忘年会のお店、ラストオーダー終えた後に暖房切りやがってスゴく寒かったんだもの(そして寒かったのに粘り居着いてしまったんだもの)。ただ、早く正しく検知できたので、気を張りなおして抑えこみ、高熱フェーズに移行せずにすんだ。なので、翌日から始まった年末年始休暇で、旅に出たり帰省したり走ったりと特段の影響なく過ごすことができた。ただ、咳だけはずっと止まらず、そこがいつもと少し勝手が違っていたのだけれど。

休暇が終わって仕事が始まり、咳もその内に治まるかと思っていたら、小康状態でなかなか治まらず、その内に何だか別のものをもらってきた風で、そこに鼻水までもが加わった。もうどう見ても風邪だ。それでも熱がでるわけでなく何となく低調のまま普段通りに過ごして1月も2週間が過ぎた。3週間目くらいになると、多分ようやく少し熱っぽくなってきて、それよりも年末から長い間咳をし続けていたせいで咳をするときに右の脇腹が痛むようになった。痛い、何だこれは。咳もろくにできないじゃないか。ただ、その週末にようやくちゃんと熱が出てくれて、ああようやく原点復帰かと半分安心したが、やっぱり咳をすると脇腹が痛い。週が明けたら熱も下がり、それでも不調が長すぎるし脇腹も気になるので、仕事を少し抜け出してようやく会社の近くの医者に行った。診断の結果は特に変わったことはなく、脇腹も横隔膜のあたりに炎症が起こっていて「つれている」(何が?)とのことだった。予想通り咳のし過ぎだろう。結局、風邪以外の何者でもなく、普通だ。その後は、医者に処方してもらった薬を珍しく素直に飲んで、若しくは、発熱フェーズを経たからなのか、ようやく風邪の諸症状が治まった。治まった頃には1月も終わろうとしていて、本当にヒドい1月だった。

長い間、咳や鼻水を出し続けていると、よくない影響が出てくるもので、風邪が治まった後、今度は左目の奥あたりの頭痛が気になるようになった。少し調べると、長い間、風邪を引いていたりすると、鼻水が眼の奥に回って頭痛を起こすことがあるらしい(蓄膿みたいなもの)。頭痛が左目の奥だけだったことと、もう治まっていた鼻水が左側ばかりからよく出ていたこととが符合したので、多分これだろうなと思い、まあその内に治まるだろうと放っておいた。結局、頭痛はその後、2,3週間くらいで気にならなくなった。ただ、その頃に並行して、長かった虫歯の治療の最後として左下の親知らずを抜いたのだが、抜いた部分は1週間もすれば気にならなくなったものの、噛み合わせが変わったのか刺激が強かったのか左下の歯全体がじんじんと痛むようになり、これも落ち着くまでに同じく2,3週間くらいかかった。歯が痛くなると肩も凝るし、並行して頭も痛かったしで、もうだらだらと辛かった。それらすべてが治まったのが2月の後半で、その間に減らした公私のイベントは何もなかったけれど、もう、年始の2ヶ月を棒に振ったような気分だった。

起点が風邪だったのは間違いがないけれど、少し考えてみると、この間の不調に継続して作用していたのは、歯の治療だったんじゃないかと思う。

親知らずを抜いた2月の上旬まで、5ヶ月ほど歯医者に通って小さなものから大きなものまで何本か虫歯を治療してもらっていた。歯の治療の後半の2ヶ月半ほどは、1本の歯の根の治療と、親知らずの抜歯とが続いたのだが、多分それは身体にも負担の大きいものだったんじゃないかと思う。どういう道理かはわからないけれど、歯が治療されていた方に身体を護るリソースが割り振られてしまい、抵抗力というかそういうものが弱くなってしまったんじゃないか。そうしたところで風邪を入れてしまい、且つ、その間も続いていた歯の治療が風邪側にリソースを配分できず、風邪を長引かせてしまったのじゃないか。今はそんな風に考えている。

もっというと、もう若くないということになると思うのだけれど。(はい、痛いほど自覚はしております。)

さて、虫歯の治療にはこんな作用もあるということを注意しましょうという教訓も得て、暖かくもなってきたし、ジョギングでも再開するか。あ、暖かくなってきたということは、今シーズンはもうスノボに行けない。思い出したやっぱり最悪だ。

正しいと主張することの難しさ

今朝、娘と保育園に向かっていた道中、信号を待っている間に、急にふと自分が幼稚園児のころのあるシーンを思い出した。

幼稚園児のころのこと

思い出したのは、幼稚園の授業中に先生から園児に題が出されたシーンだった。その題は「信号のある横断歩道を渡っていてちょうど真ん中に来たとき、信号が点滅を始まればどうするか」というものだった。答えには「1.渡りきる/2.止まる/3.引き返す」という三択が提示された。そのときの私は、直感的に「1.」が正解だと確信していたのだが、確信していた答えを口に出せなかったことを覚えている。

記憶が確かなら、口に出せなかった理由は、同じ答えを選んだ人数が少数で不利に感じたという状況に加え、自分との反対意見の理由が声高に話されていたのに割り込めなかった、言い換えれば自身が正解と思ったロジック(「1.渡りきる」が正しいことの合理的な説明)を他者向けに再構築できなかったためだった、様に記憶している。

場が、自分には誤っていると思われる多数意見に染まって行く様を見ながら、無力さのような感情に支配されたことを、何故だか急に思い出した。

主張できない理由

正しいと思ったことを言い出せない表面的なものに、それが少数意見に属するとか、言ったときの相手のダメージの大きさを慮るとか、口に出すのが恥ずかしいとか、歳を重ねて繊細になったり図太くなったりして変わってくる、空気を読むことに含まれるようなことがあるかもしれない。でもそれは、口に出すまでのプロセスの最終のチェックとして存在する程度のもので、本質的な理由は別にある。

少し話変わり、

直感と呼ばれる感覚の大部分は、感覚的なものではないんだと思う。膨大な直接的な経験と、個々の論理的思考の積み重ねが脊髄となり、その脊髄から自動的に導かれた様に見える答えが直感と呼ばれているものなのだと思う。

例えば、「この人は嘘をついている」という直感(洞察)は、相対した人の多くの細かな表情や動きと、それまでのその人との経験をパラメータとして、脊髄が導くものだけれど、導かれた自分の中でかなり確証の高いと思ったそれを、他人向けに説明することは難しい。

話戻して、

脊髄を太く(導かれる答えを正確に)するには、個々の論理的思考をより深くし、且つ、それらの数を多くして脊髄に定着させていく過程が必要になる。太くなればなるほど導かれる答えは正確になるけれど、反面、その答えが太い脊髄をどうやって通ったか、その経路を追って論理的に再構築することは難しくなる。

正しいと主張することが難しいケースの一つはこういうことなんだと思う。

アウトプットすること

この後に続くのは、アウトプットすることの重要性というよくあるテーマになると思うのだけれど、だから私は、アウトプットする意義の一番下方のレイヤにあるのは、脊髄の経路確認なんだと思う。アウトプットすることで新たな気付きを得るということが言われているとすれば、それは決して新しいというわけではなくて、元々自分が持つ経路を確認することで新しいと思った気付きが新しくないことを証明する行為なんだと思う。

冒頭の幼稚園時代の題

とここまで書いた所で、ふと考えると、横断歩道のお題は交通ルールの定着のために与えられたのかと今の今まで思っていたけれど、もしかしたら議論(ディベート)の練習としてのお題だったかもしれない。なんて。だとすると、幼稚園の頃の私はまったくお題に乗れてなかったのか。なんて。